今回は、2009年に人工膝関節置換術を受け、翌年の米国PGA(プロゴルフ協会)ツアーで復帰第1戦を見事優勝で飾った米国プロゴルファー、フレッド・ファンク氏の物語をご紹介します。
プロゴルファーと人工関節
人工関節の手術を受けたプロゴルファーと言えば、人工股関節置換術を受けたジャック・ニクラウス氏が有名ですが、ニクラウス氏が手術を決意した最大の理由は「孫たちと充実した時間を過ごしたい」というものでした。これに対して、フレッド・ファンク氏の場合は「ゴルファーとしてのライフスタイルを取り戻したい」ということが人工膝関節置換術を決意した理由でした。
ファンク氏は右膝の半月板損傷をわずらい、数年間痛みを抱えて競技をしていました。2008年には半月板の修復手術を受けますが、その後も膝の痛みは続き、翌年、人工膝関節置換術を受けることとなりました。
以下は米国の人工関節メーカーStryker社の患者向けサイト(※1)を翻訳したものです。
フレッド・ファンク プロフィール
Fred Funk 1956年米国メリーランド州生まれ。
身長170㎝。
1981年にプロへ転向。2004年の全米トッププロによるプレイヤーズ選手権で史上最年長優勝をするなど、正確なショットを武器に活躍中。
通算勝利数11勝(米ツアー9勝を含む)
プロゴルファーとしての人生を再び
米国PGAツアーには1989年から出場しており、良い時も悪い時もたくさん経験しました。いい競技人生を送ってこられたと思います。
ゴルフを始めた頃のことや、ジャック・ニクラウスやアーノルド・パーマーと共にプレーしたこと、かつてゴルフコーチを務めたことなどを思い出します。
ツアー中の愉快な思い出もあります。中でも忘れられないのが、スキンズゲームというイベントでアニカ・ソレンスタムと賭けをしたら、彼女の方が飛距離を出して私が負けてしまい、スカートをはかされる羽目になったことです。
2008年に(半月板修復の)手術を受けたのですが、右膝の側面で骨と骨が当たるようになってしまい、大変な痛みが残りました。非常に不安定でした。その年だけで18回も膝にたまった水を抜かなければなりませんでした。シーズンが終わる頃にはどうしようもない状態でした。なぜなら足を引きずって歩き回っていたからです。膝には力が入らないし、試合の結果も良くありませんでした。それ以上競技を続けるのは無理でした。そして膝に人工関節を入れようと決心しました。
私は、自分の人生を取り戻すチャンスがほしかったのです。そして、プロゴルファーこそが私の人生なのです。私のようなレベルでプレーをしていて人工関節手術を受けて復帰するのは、私が初めてでしょう。今でも私は、人工膝関節を入れる決心をして本当に良かったと思っています。最高の決断でした。おそらく、これまでの人生の中で下した様々な決断と比べても、最も賢い決断をしたと思います。
とても嬉しかった出来事が一つあります。手術から6週間後に先生から「外に出てボールを打ってきなさい」と言われたので、練習場に出て、バンカーのところに行きました。膝が悪かった2年間は、砂の上にそっと脚を乗せ、固定しないままショットを打っていたので、非常に不安定でした。足の位置も定まりませんでした。ショットに集中できるはずもありませんでした。
バンカーに目をやりました。歩いて中に入り、砂に足をねじ込んで固定してみましたが、痛みはありませんでした。「やった!」これはすごい、と思いました。バンカーに入ることができ、私は自分のバンカーショットを取り戻すことができたのです。
最後に
人工関節によってプロゴルファーとしての人生を取り戻したファンク氏は、会見(※2)で「人を衰弱させるような右膝の痛みが、プロスポーツ選手としての競技能力、そしてもっと重要なことである、アクティブな人生を継続することに影響を与え始めるようになってから、整形外科の主治医は私に人工膝関節を勧めました。術後3カ月でチャンピオンズツアーに復帰し、フルにトーナメントスケジュールをこなしています。」と語りました。そして、「私の物語が、膝関節痛に苦しむ何百万人ものアメリカ人が人工膝関節置換術によってアクティブな人生を取り戻すことができるという証になることを願っています」と語りました。
注意:フレッド・ファンク氏の物語はすべての人に当てはまるとは限りません。病状・治療方針については主治医とご相談下さい。
※1
http://www.aboutstryker.com/knee/real-patients/fred-funk.php
※2
この情報サイトの内容は、整形外科専門医の監修を受けておりますが、患者さんの状態は個人により異なります。
詳しくは、医療機関で受診して、主治医にご相談下さい。